SENRYU REVIEW

それいゆるうぺ

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評定の途中で鼻が増えてゆく

小池正博『水牛の余波』(邑書林、2011年)

「ひょうてい」か、「ひょうじょう」か。句集にルビはないが、どちらかといえば「ひょうてい」よりも「ひょうじょう」を採りたい。
前述の通り「評定」という単語には二通りの読み方があり、内容も異なる。われわれに馴染み深いのは「ひょうてい」である。ある人物の成績や価値を、一定の基準に基づいて評価する仕組みだ。この場合、評価の対象となる人物の鼻が増えるという奇想の句になる。
一方「ひょうじょう」は、多くの人で寄り集まって物事を決めること。鎌倉時代からある言葉であり、『水牛の余波』にはそういった歴史用語が度々登場することも加味するべきだろう。話し合いの途中で人が増えるなら、鼻が増えるのもある意味当たり前である。
「どちらかといえば」であって「断固」「絶対に」ではないのはそのためだ。人が増えながら、顔の中の鼻も増えていく。うっすらとした奇妙さは、景の二重写しのためである。