まず、この十七音を、声に出して数えてみましょう。五・七・五、寸分の狂いもありません。 『戦争は女の顔をしていない』は、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチがロシア語で書き、三浦みどりが訳した証言文学。 その日本語の題名が、はじめから五七五定型に収まっています。 『スロー・リバー』(2016)の「松島やああ松島や松島や」は、既存の「句」を引いていました。 『リバー・ワールド』(2021)の「山本リンダ」も、「かぎかっこ/やまもとりんだ/かっ…
全文を読む評:今田健太郎
南雲ゆゆ『揶揄の¨』(2026)
決しておめでたい雰囲気ではない。緊張が走る、とまではいかないが微妙に気まずくはあるだろう。いや、嬉野の話題が続いているうちはまだましかもしれない。やがてそれが尽きたとき訪れるだろう、まさしく嬉野温泉が枯渇した嬉野市がそうなるであろう絶望的なヴィジョン。そのうっすらと想像できる光景は下5のひらがな「しかなくて」が「かなしくて」のアナグラムであることで準備されている。絶望そのものより、絶望をが待っていることが哀しいのだ。
全文を読む脱衣籠ではない。脱衣箱。その閉塞。その閉塞から手が出る。おれの意図に先んじてその手がおれからひっぺがしたのはおれの衣服、ではないようだ。あの裸体。おれに背を見せつけながらとぼとぼ湯気香る扉へ向かっていくあれは、かつておれの所有だっただろうか。……向かっていく? 違う、あれは、あいつはそのような主体ではありえない裸だ。脱衣箱のなかで今おれは考えを整理するため、肉体のない姿勢をつくりなおす。そう、手が出たのだ、たしかに。そして突き離された、…
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