なんもねえ なんもねえ 紙飛行機
日比谷虚俊(note 「26年8月19日『水曜日のぶんぶん』句会報」)
「なんもねえ」のリフレインには、一読してJpopの歌詞、たとえば「くだらねえとつぶやいて/醒めたつらして歩く」(エレファントカシマシ『今宵の月のように』)のような、「くだらねえ」ということを第三者に向けて話すこともなく、「つぶやく」ことによって胸のうちにしまって完結させるようなダンディズムとしても、「なんもねえ」の感触がある。ぶっきらぼうな発話とモノの衝突というところに重心をおけば、まるで町田町蔵のパンクの歌詞のようではないか。「なんもないんじゃ なんもないんじゃ」なんて、町蔵が言いそう、とおもう。
それで、「なんもねえ」を「なんでもある」時代の発話だと考えてみる。ほんとうになんもねえ時代、たとえば終戦直後、
水栓のもるる枯野を故郷とす
/河野春三(『無限階段』、森林書房、1961年)
これはたたみか
芒が原か
父かえせ
母かえせ
/松本芳味(『難破船』、川柳ジャーナル社、1973年)
のような、焼け野原になった日本の風景にあって、「なんもねえ」のは当たり前であり、なんもねえことをわざわざいう必要がない、という前提を考えてみたいのだ。
俳句、川柳にまたがり「短詩」の運動を主導した山村祐は、『定本 河野春三川柳集』(たいまつ社、1982年)のなかで、
「一面の焼野原と化した戦災跡の記憶は今も生々しく私たちの胸中深くまれている。その一隅にポツンと立上った水道の蛇口から、ポタポタと水の洩れていた風景もまた記憶に新しい」(3頁)
と、その序文を始める、同じ戦争体験を共有する世代には、これらの句の景色は想像して理解するようなものではなかった。
パチンコ屋オヤ貴方にも影が無い
墓地を出て、一つの音楽に帰る
/中村冨二(『中村冨二句集』、森林書房、1961年)
冨二の句に頻出する「影」や「墓地」のモチーフは、なんもねえ時代に冨二の目に飛び込んできた、確実に「ある」ものであったはずだ、とおもう。全部焼けてなんもなくなってもそこにあり続ける影や墓地に、イコンのような輪郭の線が与えられ、記憶されている。
だから「紙飛行機」は、おそらくなんでもある時代において、「なんもねえ」という発話と並置されている。これが「飛行機」であったならば、それはさすがになんもねえことはない。「飛行機」があるじゃないか、というはなしで、飛行機の物体としての存在感が「なんもねえ」という発話の質感には寄与せず、アンバランスな印象を生むようにおもう。
しかし「紙飛行機」は、その重量の軽さ、さらに「飛行機」でもありながら「紙」でもあるという二面性、紙である一方、たんに紙ではないという仕方で、「ある」ということの固有性を揺さぶる。いまという時代が、モノがたくさんあるにも関わらず「なんもねえ」時代であるということ、その二面性。反対に、なんもねえ時代にあって「枯野」や「芒が原」が広がり、「影」や「墓地」たしかにあるということ、日比谷の句において「紙飛行機」は、いちど紙をひらいてもういちど裏側から折り直しても飛行機になるように、その存在のリバーシブルなひらかれ方、意味の両面性を抱えながら、「なんもねえ」とぶっきらぼうに発話された豊かな時代を飛んでいる。
米津玄師にぶつける西瓜
掌に口が欲しくて愛し合う
/日比谷虚俊
note 「26年8月19日『水曜日のぶんぶん』句会報」(https://note.com/senryubachi/n/ndfbf7d7a1d2b)より