SENRYU REVIEW

それいゆるうぺ

「蜂」会員による一句評を掲載しています。毎日更新。

コングラチュレーション 寝ない子 コングラチュレーション

暮田真名『ふりょの星』2022左右社

 川柳は、物語を凝縮する詩形である、と定義すると、かなりの部分の読み説きが進むと思います。

 一句の川柳には、行動するまたは語るまたは見ている人=主人公が立つ、ということは言っていいと思いますが、その主人公の行動その他が、作者の自分の実感や主張である必要は全くなく、ましてや経験ではないほうがよかったりすることもあり、悪いことを書いても受け取れるものはあります。

 書かれた言葉の背景を知っていれば面白く、知らなくてもそれなりに楽しめる、なんなら、作者が知らない言葉に対して感じたところを載せたっていい。そういう定義はどうでしょうか。

 極端に言えば、川柳と小説は、読みての構えが似ている。そう思います。

 ほんとうに、今思いついたのですが、いわゆるサラ川もこの定義だと含めることができてしまいます。歴史的文脈や現代社会を背景として、ただ一つの物語が書かれるのがサラ川で、物語がいくらでも作れる、いや読み取れてしまうのが現代川柳。これを書いているときに意識しているのは、純文学と大衆小説なのですが、同じような見方が、いま大流行のあとで定着しつつある短歌にもあてはまるなあと思います。

 はい、川柳に戻ります。

 無秩序に言葉を並べると、無秩序が目の前にくる場合と、なにかとてつもない物語へみちびかれる場合があり、その差は、小さくないです。われらが主宰の暮田真名は、一見突拍子もない語句のぶつけあいに見せながら、首の皮一枚のところでじつはつながっていて、結果として物語がきらきらと見えてくる、という塩梅が絶妙で、それがとてつもなく面白くむずかしいと思います。私が川柳に立ち向かおう、と決めたのは暮田のこの句集に出会ったためなのです。

 前置きが長くなりました。掲出句は、『ふりょの星』の巻末句です。なにがめでたいのでしょうか。わたしはまず、引きこもりのひとが、夜寝ないで何かに集中しはじめた、という情景を思い浮かべました。絵としては、テレビ版「新世紀エヴァンゲリオン」の最終回が近いでしょうか。なのですが、それだと決定するにはいまいち弱いというか、緩くて、ほかの風景も見いだすことができます。引きこもりでなくてもいい。ゲームでも、創作でも、勉強でも、実験でも、試作でも、オーバーホールでも。寝ない子がおめでとうと声をかけてもらえる、自分で自分を祝える、そういう場面っていくつでも表れてくると思うのです。

 そこまで来たので続けますが、上五と、下五――大幅に余っていますが、どちらを中七へまたがらせるかはその時の気分で決めていいように思います――に繰り返される「コングラチュレーション」は、ひとつが外から来るもの、一つは自分(主人公)の内からくるもの、と解釈しました。

 胸に沁み入りますね。