SENRYU REVIEW

それいゆるうぺ

「蜂」会員による一句評を掲載しています。毎日更新。

それでも刺すと日記には書いておく

時実新子『有夫恋』

 〈それでも〉という言葉によって、〈刺す〉ことがすでに一度断念されながらも、〈日記〉のなかでまた息を吹き返している。ただ、ふたたび〈刺す〉と思っているはずなのに、妙な冷静さも同居しているのは、助詞「には」や補助動詞「(~して)おく」のためであろう。〈日記〉とその外を区別しながら、〈日記〉のなかでことを済ませている。心情を言葉にして書くことで、冷静になるということを私たちは経験的に知っているものだ。
 対照的なのは、同句集の〈ほんとうに刺すからそこに立たないで〉である。まさしく、いまここで〈刺す〉と表明される一方で、〈そこに立たないで〉という呼びかけによって断念が仄めかされる。掲題句とは矢印が逆である。しかし、意志と断念が一つの句のなかに見える点では共通している。私がこれらの句に注目してしまうのは、この屈折のためかもしれない。
 話を掲題句に戻そう。この句のおもしろさは、本来、私秘的であるはずの〈日記〉の内容が一部示されていることにある。〈それでも刺す〉という心情を〈日記〉の中に留めたと書くことで、かえってこちらがその中身を知ってしまうのは、どこか不思議である。このとき〈日記〉における秘密とは、だれに対しての秘密なのだろう。一つ考えられるのは、あくまで自分の属する生活圏に対しての秘密である。そこからはずれた人、あるいは不特定多数の部外者には、むしろ秘密が開かれている。この捻じれは、たとえば、ブログなどに赤裸々なことを書いたことのある私には了解できるものだ。

時実新子『有夫恋』(朝日新聞社、1987)
ただし引用は朝日文庫(1992)による