認知症わが家にもあるユーモア
川畑カツ 『北海道川柳年鑑(第28集)』の「参加者作品集」より
「わが家」は「わがや」と読むのであろう。五七四、結句字足らずの川柳である。
その五・七・四の切れ目を意識しながら声に出してみると、結句「ユーモア」の響きが、いかにも定型を定型として完了させるのを阻むような、危うさのある、断絶的な音として感じられないだろうか。
字足らずの掲句には、なにか句そのものに〈自失性〉がある。例えば「認知症わが家にもあるユーモアね」だった場合、そのような自失性は生じない。
作品における字足らずが〈技巧〉として、句そのものに、「認知症」的な〈症状〉を付しているように思えてしまう。大切なものを失いかけていながら、その喪失体験自体に気付けていないような、そんな声音が直接に響いてくる。
またこの字足らずとしての結句四音が、「かなしみ」とか「むなしさ」みたく、あきらかにネガティブな語彙によってではなく、むしろどちらかと言えばポジティブな「ユーモア」という語彙によって支えられていることが、余計リアルに読者へ迫ってくるように思える。
大げさに描かれ過ぎた不幸ではないからこそ、読者は「認知症」の意味内容によって同情を誘われるのではなく、むしろ「ユーモア」という宙づりの結句を読むことによって即、この自失感へとまきこまれてしまうのだ。
作者である川畑カツは、掲句を発表した2006年当時80歳。掲句の他、同書には「トースト一枚焦がしてきょうも老いる/川畑カツ」「ふり向くまいと米研ぐリズム繰り返す/同」「にんげんの丸みが増して群のなか/同」などの句が載っている。掲句もふくめ生活感自体よりも、作者が生活のなかで実感しているであろう〈時間感覚〉のようなものが、たくみに句作品そのものの律感に流れ込んでいるように感じられる作品群であった。