SENRYU REVIEW

それいゆるうぺ

「蜂」会員による一句評を掲載しています。毎日更新。

遮断機がるさんちまんと下りてくる

飯島章友『成長痛の月』(素粒社、2021年)

擬音語・擬態語でない語を擬音語・擬態語に転用するというアイデア。このアイデア自体には類例がある。

海鼠踏んだら「トウキョウ」と音がした/倉本朝世

あるいは、短歌にもこんな例がある。

カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしやみする秋/石川美南

飯島の句の特色は、「るさんちまん」という語の、擬音語・擬態語への「なりきり度」が低いことにある。
くしゃみの音に「はぷすぶるぐ」、つぶれたナマコが発する「トウキョウ」、これらは漫画の擬音として出くわしたとしても「ちょっと気の利いた表現」として読めそうだが、遮断機の絵に「るさんちまん」という文字が添えてあったら何のことかわからないだろう。

読むときに「るさん・ちまん」と(ressentiment という原形を考えればありえない仕方で)割りたくなるのは、この語が擬態語の位置にあてがわれているという事情のためで、そのようにして眺めたとき、黄色と黒の長い棒がしなりながらウツウツと下りてくるさまを〈るさん/ちまん〉という音が確かに表現しているように一瞬、感じる。本来の持ち場ではない役割に言葉が駆り出されて、そこで最大限「擬態語」をやろうとした結果、他の言葉では及ばなかったところに手が届いている。現代川柳を含む詩というジャンルは言葉の斡旋の芸術と言えるが、掲出句はアウェイな場に置かれた言葉の〈協調〉のはたらきが光っている。