ひと様の砂地でいのちフェスしない?
榊陽子「ひと様の」(「Picnic」No.10)
先月もこの連作から取って来てますけど、この連作、ほんとグッとくる句多いです。榊さんてどんなですか、と聞かれることがあれば、ぼくならこの連作か、詩客に掲載の「愛の参加」(https://shiika.sakura.ne.jp/works/senryu/2021-08-07-21652.html)を薦めます。句ごとの振り幅が大きく、かつポップにまとまっていて最高。もちろん榊さんのもう一方の美点である破壊的な句もたくさん。「タワマンの精肉痛はイッキ見で」とか、「洋食に粉末精子立ち尽くす」とか。なんやねんな。
でこれら破壊の後で掲句に立ち戻ると、またこぼす羽目になる。なんやねんなと。この二つの「なんやねんな」の差異。榊さん句の読解に当たり非常に重要なポイントとなるため、その違いはおいおい聞き分けていきたいところです。「聞き分け」、ね。なんやねんな、て二百種類からあんねん——しらんけど。
で、掲句。いのちフェスはいいです読めっこないので。せいぜい言えてもおのおののフェス観にかかわる、というくらいでしょうか。でもおのおののいのちフェスがおのおのの前頭前野で催されればそれで十分で、もしたまたまお天気とか良くて気分が乗ったら、おのおののいのちフェスの様子など話しあって交流が深まればなおよろしい。そのくらいの把握でいいと思います。深入りは禁物。
それゆえ肝心なのはその指定としての前段、「ひと様の」、「砂地」、句末の「しない?」になります。いのちフェスなる無間の祝祭を、よりにもよって「ひと様の」「砂地」で、「しない?」と誘っている。ラフ。しかし「ひと様の」土地でやるということは、いのちフェスに他人を巻き込みたい、ということでしょう。自分の土地だと閉鎖的になりかねない、という危惧があるし、そもそも片付けが気になっちゃう。だから「ひと様」。使われる方はたまったもんじゃないでしょうが、これはフェスを自己満足に終わらせまい、という意志表明でもあります。この強さと、片付け不要の魅力が、たくさんの人をいのちフェスへ招き入れます。?が付いていても言い切りの句だと言えるでしょう。
そして「砂地」。土地でも空き地でも草原でもなく「砂地」。舗装されていない土地とは≒大地そのもの。そのエナジーのうえ、手が加わっていないから、テントでもステージでもスフィンクスでも建てられる。誰がイメージしたどんないのちフェスも、そこでは始められます。そういう場所を、ことばで確保しようとすること。そんな強さも、この句にはあるわけです。
また砂は舞い、煙り、わりと邪魔くさい。夏フェスでもよく砂を舞わせないよう水を撒くシーンがありますが、この邪魔くささ、泥臭さ——そう、雨が降ったら泥にもなる!——を抱えたうえで「いのちフェス」しよう、と誘っている。これが肝です。決して絵になる光景にしない。ここが川柳の器のデカさ、深さだと西脇は思っていて、そのこころは読み手に構えさせない、ということにある。なんら構えることのないそのままのあなたと、「いのちフェス」したい。だから句末の誘いも軽み全開の「しない?」、になっている。大事だけど重い「いのち」のことをそれでもやっていくため、構えをなるたけ崩させて誘う。重い、からこそ軽やかに。どこまでも伝統の上にある一句です。