木魚を叩いて叩いて明日にする
中村一兵『新興川柳影像句集』(古屋夢村:編、川柳影像社、1926)。
農作物荒らす鳥獣を「音追いピストル」で追い払うかのように、木魚を叩きまくることによって今日という日そのものを追い立てようとする主体の姿が浮かんでくる。
そんなこと出来ないよ、木魚を叩いても一日は二十四時間だよ、とコチラが声をかけるスキもなく、ひたすら木魚を叩きまくっているこの主体は、一体何に衝迫されているのだろうか。
「淋しさ」なのか「怒り」なのか「むなしさ」なのか、はたまた単なる「いたずら心」なのか。そもそも今日を追い立てて、その場を「明日」にしたところで、それがこの主体にとって一体何になるのだろう。どうせまたずっと、日がな一日木魚を叩いて叩いてしているだけなんじゃないだろうか……という気にもなってくる。
私たちは、この主体の行動そのもの──「木魚を叩いて叩いて」している場面──を景としてよく想像できるだけに、最後には結局、その行動に至っている心理的機序の不明瞭さ・了解不可能性の前に立ち尽くすしかなくなる。本当に「明日」はくるのだろうか。今はただぽくぽくぽくぽく音を聞いているほかない。