約束の核ミサイルを煮てください
横山航路(第六回「川柳頂戴」(題:でかい)結果発表 並選)
俳人・川端茅舎の〈約束の寒の土筆を煮て下さい〉(『白痴』)のパロディである。まず原句を読んでおきたい。茅舎は高浜虚子門の俳人で、長く病床にあり、昭和十六年に没した。句はその年の寒の作で、「二水夫人土筆摘図」と前書された八句のうちの一句。「寒」は寒の入りから立春までのおよそ一か月、一年でいちばん冷えこむ時期を指すが、土筆は本来春の野に出るものだから、寒の土筆はなかなかお目にかかれない。見舞いにきたとある夫人が、それを摘んできてくれ、書き手は恍惚とともに食す、という連作である。病人の、ほとんど子どものような弾みが一句になっている。これは果たされた約束であり、連作中の語にあらわれる法悦は、病床に潜む死の匂いの裏返しでもある。
横山の句は、この「寒の土筆」を「核ミサイル」にすり替えた。仕掛けは明快すぎるほど明快で、この大喜利型のパロディの単純さを難じることは容易い。川柳の読者にとって茅舎はかならずしも共有の参照元ではないし、茅舎を知らない読者には何の約束なのか見当がつかない。しかし、だからこそわたしが何かを書かねばならない気持ちにもなった。
茅舎の句を知る読み手にはひとつの像が結ばれる。まっさきに思われるのは、土筆と核ミサイルの形状の喩である。サイロの底から立ち上がるものと、土手に顔を出すものが、重なりあう。核ミサイルもまた、地球のあちこちに一本、また一本と生えてきた。土筆はスギナの胞子茎で、地下茎でつながっており、根絶やしにしにくい。そのことを思えば、核ミサイルというものの哀しみが増幅する。
こう書いていて、ふと思い出した。広島の原爆死没者慰霊碑は「安らかに眠って下さい」と「過ちは繰返しませぬから」を一続きに刻む。依頼の形と約束は、核をめぐる言葉のなかにすでに同居しているのだ。三橋敏雄は〈あやまちはくりかへします秋の暮〉(『疊の上』)で、その約束を裏返してみせた。しかし、横山の川柳は裏返さない。約束をそのまま差し出して、履行しようのない依頼にしてしまう。
茅舎の句には、摘む人と待つ人の顔があった。横山の句では、誰が誰と約束し、誰に煮てくれと頼んでいるのかが空白になる。核兵器とは結局のところ、国家と国家のあわいにある約束の上で働く巨大物であろう。撃たないという約束、持たせないという約束、撃たれたら撃ち返すという約束。茅舎の約束は果たされて、土筆はつかのまの愉悦をもたらした。しかし、核の約束は、果たせば終わるという種類のものではない。守られているあいだだけ約束でありつづけ、煮えて片がつく日は来ない。それによる、滅亡の日を除いて。