愛されてうれしがらない西瓜割る
野村茶鳥 26年8月19日「水曜日のぶんぶん」
「西瓜割」りは青春の一頁にもなっている。しかし、甘い思い出は人間側の都合かもしれない。「割」られる側の「西瓜」の立場になって考えてみると、せっかく時間をかけて成長したにもかかわらず、きれいに切り分けられるわけでもなく、ぐちゃぐちゃにつぶされて食べられないところも出てくる。人間のエンタメに消費される。「愛されて」いるのは「西瓜」自身ではない。「西瓜」を通して得られる体験だ。つぶされて残ったあとにはハエがたかっていそうだ。
https://note.com/senryubachi/n/ndfbf7d7a1d2b