目の中の畳表のことである
兵頭全郎『n≠0 PROTOTYPE』(私家本工房 2016)
「ことである」と堂々と言い切られると、「何が?」と聞き返したくなります。
そこで、句の最初に置かれた「目」を、意味から切り離して形だけ眺めてみましょう。
一枚の畳そのものにも、三枚の畳を並べた形にも見えてきませんか。
また、「畳」という漢字の下部にも、「目」によく似た形が潜んでいます。
しかも、畳表には「目」があります。い草が織りなす筋を、私たちは「畳の目」と呼んでいます。
「目の中の畳表」は、「目」の中に畳表があり、その畳表には無数の「目」があることになります。
その「目」をもう一度、漢字の形として眺めれば、そこにはまた畳が現れる――意味と字形は、終わりなく入れ子になっていきます。
ただ、仕掛けが分かっても、「目の中に畳表がある」という像だけは消えません。
い草の細い筋がまぶたの裏に触れるようで、思わず瞬きをしてしまいます。
それでも句は、平然と「ことである」と言うだけです。説明の形だけが残り、何が説明されたのかは分かりません。
五七五の定型にはきれいに畳まれているのに、意味は畳みきれず、「何が?」という問いだけが取り残されるのです。