牛に追はれ牛に謝まる夢だつた
作者:平井九笑/出典『新興川柳影像句集』(編:古屋夢村/川柳影像社/昭和2年)
ひとの夢の話がいちばんおもしろい。しかも、それが文学作品として示されるにもかかわらず、何の演出もされていないかのように感じさせるリアリズム? 夢の写生? 叙事文? の表現なのだから最高だ。
収載されている『新興川柳影像句集』は新興川柳のアンソロジーで、木村半文銭の作品も多い。新興川柳についてちょっと調べると、田中五呂八を起点にした大正末期から昭和10年くらいまでにあった大きな革新運動とのことで、後半は詩的表現に重きをおく浪漫派と反戦に重きをおくプロレタリア派にわかれたらしい。木村半文銭や川上日車は前者、鶴彬は後者という感じっぽい。
同集は昭和2年発行で、編者の古屋夢村が浪漫派だったこともあり、作品の特徴としてそれまでの川柳よりも近代詩的とか前衛的とか実験的とかそういう感じの句が多い。現在の感覚ではちょっと野暮ったいような句も多いけれども、掲出句の載っているページの見開きには半文銭〈眼にうつる世界も小さく瞬かれ〉という句もあり、その表現の美しさと幼い子どもへの慈しみに驚いたりもする。今、ほかの句を野暮ったいと感じることができるのは革新運動のおかげだとも思えるし。
そんな中でも、この掲出句は痺れた。何も得るものがないし、何かの寓意を読み取ることもできない。とくだん詩的とも思えないし、わかりやすく美しくもない。あえて詩的じゃなくする前衛さがあるとは言える。牛に追われて牛に謝る夢。せいぜいちょっとした悪夢だったのかな、というくらい。でも、そんなに悪夢感はなく、脱力しちゃう呑気な酪農家? もしかして、「もう御免」と「モーごめん」をかけたネタツイ? せいぜいこんなもんだろう。
ただ、そもそも筆者はなんてことはない夢の話を聞くのが大好きなこともあり、めちゃくちゃうれしい。世の中には落ちのない話や見た夢の話をつまらないと感じる人もいて、たぶんそういう人は内容や表現、意味、物語を大切にしているのだと思うけれども、筆者の場合は、この作者の朴訥?とした人柄や気質に惹かれたのだと思う。俳句や短歌の場合、正岡子規没後その弟子たちが写生を発展させていたし、平井がまったく影響を受けていないとも思わないが、ひとの夢の話がおもしろいのは、そのひと自身と夢が面白いということだろうとも思った。
ちなみに作者の平井九笑を調べてみると、いくつかの短歌が見つかった。ほとんど下手な短歌だったけれども、〈モルヒネの量がすくない二人りの耳へ午砲の音かすか也〉(長谷川蝶松 編『大正へなぶり抄』大正15)という歌もあり興味深い。
なお、今回紹介した本は国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。登録は必要ですが、すごく便利なのでおすすめです。
『新興川柳影像句集』https://dl.ndl.go.jp/pid/1174319/1/94
『大正へなぶり抄』https://dl.ndl.go.jp/pid/978119/1/61