性欲が聖子の部屋であるかぎり
川合大祐『ザ・ブック・オブ・ザ・リバー』
聖子と言う名前を聞いて皆さんは誰を想起するだろうか。政治家の野田聖子やオリンピック選手の橋本聖子をイメージする方も多いかもしれないが、「聖子」だけで通じるのはやはり松田聖子であろう。80年代に「青い珊瑚礁」が大ヒットし曲だけでなく、髪型も聖子ちゃんカットと呼ばれ、確かデビューしたばかりの中森明菜もこの髪型だった気がする。少し前は山口百恵の「百恵」だった。山口百恵はものすごく大人びた歌をハスキーな低音や吹っ切れた高音で歌うのだが、性の見え隠れする歌を歌っていた。その百恵が引退した後の松田聖子は性というよりは恋を四季にあわせて歌ったりお茶目に歌ったり、いわゆるファンシー(この言葉は死語のようだが)路線を作っていた。 さて、この川柳だが、聖子の部屋と謳われるこの部屋は可愛らしいものに囲まれた乙女チックなものなのではないだろうか。性欲が男性のものか女性のものかはたまたジェンダーフリーで考えられるものかは定かではないが、聖子の部屋に入った途端に男性向けの露骨なものではなく相手を甘いほわほわしたような世界で包みこみ呑み込むようになってしまうのではあるまいか。しかしその部屋の虚構から逃れられず本来の本能的な性欲は発揮されず、カップルは「結ばれた」と思うような経験はないまま時が過ぎるのだろう。聖子の「聖」の字は本能的な性欲を出すのを止めて、一次元違う境地にカップルを連れていってしまう気もする。松田聖子は今も歌を歌っており、ファンシー路線はもうないけれど、それでも、包み込むような「瑠璃色の地球」もそうだし、「あなたに会いたくて」にしてもいわゆる性欲の匂いがしない歌を歌っている。やはりいわゆる性欲がどこかに吹き飛んで解脱してしまうのだろうな。「聖子の部屋」は。これが「明菜の部屋」だったらまた変わるのだろうと思ったりした。