魔法瓶の中でじっくり冷める恋
真島久美子『句集 恋文』(令和6年)
魔法瓶の中に詰めるのは、その温度を保ちたいものだ。定番の飲料以外なら、お汁粉とか?あるいは、コーンスープとか。ピクニックにコーヒーを持っていくのもいいな。家を離れても温かいものや冷たいものが食べられるというのは、素敵だ。本当に。嬉しい魔法である。
ところで、魔法は永遠ではない。
おまけに、恋も永遠ではない(諸説あり)。
魔法瓶にキュッ!と詰めたはずの恋も、じっくり冷めていく。最初はほんの些細な違和感だが、やがてはっきりと、冷めちゃったな、これ……ということに気づくだろう。
もちろん、私たちは、魔法瓶の魔法が永遠でないことを知っている。しかし、それでも魔法瓶を頼るしかないときがあるのだ。果たして今度の魔法はいつまで続くだろうか?そんな期待と不安を押し込めて、ギュッ!と魔法瓶の蓋を閉める。……だけど本当は、わかってもいる。たとえこの蓋を開けなくたって、次第に冷めていくのだ。だって、中にあるものはそれ自体が熱を発しているわけではないから。だから魔法瓶に入れざるを得ない。まして、自分の心は自分が一番よくわかっているはず。魔法瓶の中にしまっておきたかったぐらいの、だけどその恋はすでに過去のもの……知っているから蓋を開けたりはしないのだ。
さて、この句が興味深いのは、「じっくり」冷めていくこと。じっくりって、本来じっくり熟成させるとか、じっくり煮込む……とか、なにか結果を待ち侘びる行為に対して使用するのではないだろうか?
それだから、「じっくり冷める」と言えたのなら、もう良い思い出になった頃なのかも知れない。ちょっと蓋を開けて、覗いてみてもいいような。魔法瓶の魔法が切れてしまっても、ああいい恋だったな、と思えるような、そういう時期になったのでは?