目と鼻をまだいただいておりません
広瀬ちえみ『セレクション柳人 広瀬ちえみ集』2005年
現代川柳を読むのに慣れてくると、書いてあるほんのわずかな言葉から句の空間を広げていって、ないはずのものをみたり、起こりえないことを想像してみたりして楽しむのが当たり前のようにできるようになります。少なくとも私は今そんなふうです。そうすると、ごく自然に日常生活の一場面を言っていそうな作品であっても、「いったいこれはどういう状況下で出る反応だろう…」などと想像して、自分で勝手に怖がったり恥ずかしがったりするという、傍目にはかなり滑稽な状態になります。それが楽しいのでもありますが。
掲出句は、「普通に読めるけれど」という留保を許さない作品です。中七と下五だけみれば普通です。宴会の締めで、デザートのシャーベットが順に配られて、私のところまで来ていないのにスタッフさんが帰ろうとした時などによく言いますね。しかし上五が目と鼻です。これはもうありえないかもしれない状況をむりやり描き出すしかないです。
最初に想像したのは、ピノキオのような人形の製造過程です。目と鼻がまだないそうですが、たぶん聞こえているしクレームを言う口もある。手と足もきっとすでにあるので、はやく目と鼻をつけないとゼペット爺さんは殴られるかもしれません。
次は、自分の分け前としての目と鼻を、まだもらってない、という状況です。自分には目も鼻も普通にあるという前提です。で、目と鼻、もらってどうするのでしょうか。食うんですかね。目はまだ聞きますが、鼻? を食う状況とは? いや動物とは? 食わないのだとすると、何に使うのだろう、人の鼻。いやいやいやいや人だとはどこにも書いてない。鯛の鼻かもしれないじゃないか。鯛の鼻? どこ? 墓穴を掘りそうなのでこのへんにします。
三番目はフェミニズムリーディング的に、ものごとを見通せる立場、良しあしをかぎ分けられる場所に、主体はいないのだということを、丁寧な言葉づかいで訴えかけている、と解釈しました。まだその不満の度合いは大きくないようですが、このひとは目と鼻をえるとその次には自分の部屋がないことにも気がついてしまうのでしょう。がんばれ。