陽炎に抵触するのではないか
芳賀博子『髷を切る(文庫版)』(青磁社 2023)
通常なら「法令に」「規約に」と置かれるはずの場所に、「陽炎に」が収まっています。
その瞬間、つかみどころのない自然現象が、越えてはならない境界や判断基準のような顔をしはじめます。
しかも、「抵触する」とは言い切らず、「のではないか」と断定を避けています。
詩的な「陽炎に」で始まり、定型には端正に収まっていますが、下五のすべてが会議で差し出されるような事務的な留保に費やされています。
揺らいでいるのは、景色だけではありません。
そもそも、どこからどこまでかも定かでない陽炎に、どうすれば「抵触」できるのでしょう。
その曖昧な境界にまで抵触しないよう、神経をすり減らさなければならない世界――笑うに笑えません。
陽炎は、ただ揺れているだけです。こちらを咎めることも、立ち入りを禁じることもありません。
それでも、触れようのないものの前に見えない線を引き、自分から足を止めてしまう。
その感覚には、どこか覚えがあります。