SENRYU REVIEW

それいゆるうぺ

「蜂」会員による一句評を掲載しています。毎日更新。

意味は桃の天然水があるだけ

景川神威 第一回川柳結社蜂全国大会「蜂の日大会」

JTが水を売っていた時期があるんだ、と句評を書き始めてから知った。とはいえ、かつて売られていた「桃の天然水」という商品を知らなかった私にも、大体桃フレーバーの水なんだろうなという見当はついていた。
だとして、「意味は桃の天然水があるだけ」と発話されたときに、句の意味内容が像を結ぶかはまた別問題だ。短詩の解釈の多義性は翻訳の際にいっそう顕著に表れてくるため、拙い語学力で恐縮だが、この句をいくつかの解釈に分けて英訳しようと思う。

(1)As for meaning, there is only peach water.
訳し戻し:意味に関して言えば、そこには桃の天然水だけが存在している
(2)All that meaning is, is that there is peach water.
訳し戻し:意味のすべては、桃の天然水が存在するということ、である
(3)There is only peach water to meaning.
訳し戻し:意味は、それに付随するものとして桃の天然水だけを持っている

大きく3つの訳し方に分けられるとしたとき、私は(1)と(2)の解釈で迷ってしまう。
(1)とすると、「『意味』というものの中には、桃の天然水しかない」というような、意味という言葉を空間のように捉えたとき、そこにぽつんと置かれた桃の天然水のボトルだけが見えてくるようなイメージが現れる。
一方(2)とすると、「『意味』とは桃の天然水があること、それだけである」というような、『意味』という言葉の定義を決めたときに、桃の天然水しかなくなってしまうイメージが現れてくる。

桃の天然水⊆意味か、桃の天然水=意味か、どちらなのかはわからないし、どちらか一方に決めた瞬間に零れ落ちてしまう美しいなにかをまだ繋ぎ止めておきたい気持ちはある。
私の心の中には、いくつかの解釈の間を水のようにゆらめくこの句があって、それでどうにも楽しんでいる。

ところで。川柳を作っているとき、ふいに無駄な争いをしているような感覚に陥る瞬間がある。妖精という単語ひとつを使うたびに酢豚が想起されるのと同じように、句の構造においても半ば特許のような力が働いていて、「この句には〇〇という同じ構文の有名句があって~~」と評されてしまうことがある。川柳が十七音でしかない以上、どれほど頑張ったとしても構文の数は有限で、誰が先に特許を取れるかを競い合っているだけだと言えなくもないのだろう。

ただ、それでも川柳が作られ続けるのは、同じ構文にどの単語を代入するかにセンス(ひいては作家性)がありありと映し出されてしまうからなのかもしれない。もし掲句の「AはBがあるだけ」という構文を思いついたとして、「東京はきみの散歩道があるだけ」なんて代入していたとしたら、特段ひとの目に留まることもなかったはずだ。どの言葉を代入するのか、という果てしない勝負を経て、時代の淘汰に耐えうる句になったものだけが、みんなの共通理解となって参照され続けていくのだと思う。

ナユタン星人の楽曲「惑星ループ」では、サビで「そこに大体、愛が在るだけ」というフレーズが繰り返し歌われる。「~があるだけ」という点では掲句と共通しているが、そこにあるのはナユタン星人のような真っ直ぐな愛ではなく、ただ具体物としての桃の天然水だけだ。そこにあるものとして桃の天然水が選ばれた瞬間に、とうに販売終了したはずの桃の天然水だけが、意味のなかを煙のようにぷかぷかと漂い続けることになる。

私がこれから「惑星ループ」を聴くたび、桃の天然水が脳裏をよぎることになる。有限の椅子のひとつがいま占められた。