これからが躑躅やんかというときに
瀧村小奈生『留守にしております。』(左右社 2024)
これからというときに……。生きているとそう言わずにはいられないこと、ありますよね。
この句も「これから」と先を開きながら、「というときに」で閉じてしまいます。
そこから、まず無念さが伝わってきます。
状況はわかりませんが、何かが、まさにこれからというところで絶たれてしまったようです。
素直に読めば心待ちにしていた躑躅を楽しむことが叶わないということでしょう。
ただ、「これからが」の「が」は、来るはずだった時間そのものを躑躅の名で呼んでいるようにも見えます。
二字とも足偏の「躑躅」は、どこか足を止めさせる字でもあります。密集したその字面に「髑髏」を重ね、不穏な気配まで感じ取る方もいるかもしれません。
また、独り言なのか、誰かに向けた言葉なのかはわかりませんが、訛りのあるくだけた「やんか」には親しみとわずかな明るさが滲んでいます。
その声が明るいぶんだけ、かえって言葉にならなかったことの翳りが濃くなります。
何が起きたのかを語らず、「というときに」で言葉そのものを途切れさせる。
その先の空白には、これから咲く躑躅だけが取り残されているのかもしれませんね。