SENRYU REVIEW

それいゆるうぺ

「蜂」会員による一句評を掲載しています。毎日更新。

眼鏡を拭いた  言い淀む猫を見やった

ササキリユウイチ『馬場にオムライス』

眼鏡を拭くと「え゛!世界ってこんなきれいだったんか!」と毎回驚く。眼鏡をかけるようになって13年。それなのに毎回驚けるから不思議だ。

二字空きの空白も知覚に働きかけてくる。「眼鏡を拭いた」→(眼鏡をかけた)→(綺麗な世界に驚いた)→「言い淀む猫を見やった」という、知覚の流れを書かないことで消し飛ばしたように見せている。連句でいうところの「抜け」みたいだ。例えば「窓を開ければ揺れるカーテン」とすれば「風」の字を使うことなく「風」を詠むことができる。この句においても「眼鏡をかけた」と書かずに「眼鏡をかけた」ことを空白が見せている。「抜け」の進化形っぽくてちょっと感動した。

もう一点、「わかることにどれほどの価値があるのだろうか」と最近強く考えている。「わかる」ことよりも「考えられる」とか「感じられる」方がよっぽど重要じゃないか。なぜ「猫」が「言い淀」んでいるのか、「猫」って人間寄りの生物なのか(例:ヤニねこ)獣寄りの生物なのか(例:猫の恩返し)、何かのメタファーか。確かなのは、作中主体が「言い淀む猫を見やっ」ていること、そして「猫」の言葉を待っていることだ。「わかる」快感もあるが、「考え続ける」快感もある。分からない句の中にも考え続けられるものとそうでないものがあるように、「考え続けられる」というのは「わかる」に比肩する価値なのではないか。