この世からはがれた膝がうつくしい
倉本朝世(句集「なつかしい呪文」あざみエージェント2008年7月24日)
膝には年齢が出る。角質が溜まりやすく、上半身からの重みで皺も入りやすい。こういう部位は他にもあって、首や肘などもそうだ。
しかし首や肘というのは露出する頻度が膝よりも高いから、老化現象は自分で気付きやすい。それに対して膝の老化には意外と気付きにくいものだ。
この句の「この世からはがれた」の持つ意味は、文字通りであろう。わざわざ手入れをせずとも、つるつるの膝を持った赤子や幼児などは、まだこの世に片足を突っ込んだだけの存在といえるのかもしれない。そしてもうひとつ、死者の膝。もう、重たい身体を支える必要のない膝。長期間に渡り病院や施設のお世話になり亡くなった幾人かの親族の遺体は、意外なくらい綺麗だったことを思い返す。昔は日焼けしていた肌は真っ白になり、膝は骨の形そのままにつるつるに光っていた。
ところで「うつくしい」は、ひときわやわらかな平仮名表記である。「美しい」とはまるで違った印象を受ける。この句集にはもう一句「うつくしい」句がある。
たちあがることはうつくしいまちがい
能動的に行動を起こす第一歩。すべてが成功するわけでも正しいわけでもない。けれどひとはいつも、幾度も、たちあがる。その姿、一瞬はうつくしいというのである。
こんなにあたたかく、おそろしい、うつくしいまちがい。
この世からはがれていくことも、たちあがることも、ひとつの線で繋がっている。
興味深いのは二句とも下半身の膝が鍵であるという点。膝を傷めてしまうと立ち上がることも、歩き出すことも、辛い。言うまでもなく膝は人間が生活する上でかなりの負担がかかる部位であるけれど、作者は何故、句作する際に「膝」に行き着いたのだろう。
そうしてどうやってこのうつくしさを見出したのか。きっと身近な人々への絶え間ない細やかな心配りが基になっているに違いない。
これらは生活する身体の内側から時折こぼれ落ちる、凝縮された玉のような川柳だと思う。