SENRYU REVIEW

それいゆるうぺ

「蜂」会員による一句評を掲載しています。毎日更新。

突起ぬかれてビューティフル・ドリーマー

川合大祐「ノーパルプ・ノーフィクション」『川柳EXPO2026-柳-』

突起。突起である。人体には、基本的に突起がないので、美しく夢を見ているのは、人体でないなにかである。ひょっとしたら、後付けで角とか、なにかそういうものを生やした人体の可能性もあるけれど……人体に工夫をするよりも、もっと簡単に、わたしたちはべつのものを想像して構わない。例えば、あなたは、犬が好き?猫は?亀や、爬虫類、昆虫はどうでしょう。生き物じゃなくたって勿論結構、すきなお人形、柔らかいぬいぐるみ、小さなマスコット、輝くプラモデル。なんだって構わない。ドリーマーという大袈裟な名詞には、それだけの懐の深さがある。この句の底知れなさは、ほとんどその部分で担保されているとも言える。そしてその条件といえば、「突起ぬかれて」ただそれだけ。だけどこれが、とても難しい。だってぬいてではないのだ。「ぬかれ」なくちゃならない。必要なのは他者の手である。とにかく、他者に突起をぬかれさえすれば、あらゆるわたしたちは、あらゆる何物かは、ビューティフル・ドリーマーになれるんだもの……
一方で、そのたった一つの条件が同じだけビューティフル・ドリーマーという一見魅力的でどうにも惹かれてしまうこの名詞の危うさでもある。突起、ぬかれなくちゃだもんな。ユニコーンは鋭い角を、クワガタならあの鋏を、プラモデルなんか、突起こそ格好いいパーツであったりするんじゃないかな……果たして、その突起を「ぬかれ」そうになったとき、わたしたちは、その手を受け入れることができるかしら?ひょっとしたら、アイデンティティのような、体と一体化した大事な部分を、まさしく私が私自身である目印であるかのような何かを、ぬかれてしまうんじゃないのかしら?……そんな不安が、ふと、恐怖とともに襲いかかってくるのだ。ねえ、本当にその突起、ぬかれなくちゃならないのかしら。それでもってビューティフル・ドリーマーになれたとして、わたしたち、本当にそれでいいのかしらん?
聞こえてくるのは、誤ったら二度と取り返しのつかないような、そんな問い。さて、ここまでご覧になって、あなた、いかがでしたか。なりたいものですか、ビューティフル・ドリーマーに?それとも、その覚悟があるものだけがなれるのが、本当のビューティフル・ドリーマーなのでしょうか。ああ、ビューティフル・ドリーマーの見る夢は、いったいどんなものなのでしょう?そこで考え込んでしまったら、もうわたしたち、みんなこの句の虜なのでした。